食べ歩きブロガーの「まずい店」との向き合い方について思うこと




猫町飯店としてブログを更新していると色んなブロガーさんからメシのお誘いを受けたり、はたまた私が「こん人おもしろかごたる」って思ったブロガーさんにはこちらからアプローチして一緒にメシにいったりします。

そんな時に私がみなさんから受ける質問で多いのがこれっす。

 

「まずい店に当たった時どうしてるんですかー?」

 

決まってんじゃないすか。

 

「クソへこむ」

 

の一言っすよ。

 

ただ最近よく見かけるその「まずい店」の発信の仕方に疑問をもったりします。

 

記事にしていない店は思いつくだけでも30店ほど

基本的に私はそのみんながいうところの「まずい店」ってやつは記事にしません。これが私のブログの特徴です。

今はみなさんのオススメ情報をベースにいってるんで、ハズすことはほとんどないですね。

昔は「まだ知られてないけど良店を探り当てるぜ!」ってうまいかマズいかもわからんけど色んなところに食べにいってました。

そしてハズして打ちひしがれて帰ってくるというパターンです。もう最高にショックでまじで泣いた時もありました。

おおげさじゃねぇぞ。メシ食うことしか楽しみがないアラサーのリーマンが休日の貴重な時間と身銭を切って外食する。この行為がいかに大事かわかるか旦那?

まぁ、でもたまに「クソうめぇわこの店!」ってとこにもぶち当たるけんそういう時は「こいはみんなに教えんばつまらん」つってすごい勢いでブログを書いてましたね。

でも「まずい店」ってやつは記事にしてません。ざっと30店ほどです。

 

「まずい店」の情報も需要がある

「まずい店」を記事にしないのが私のブログの特徴といいました。これは食べ歩きブロガーとして致命的な私の弱点であります。

なぜかってブログの価値は一般的に「検索ユーザーの求める情報を提供すること」とされているからです。

食べ歩きブログを例にわかりやすくいえば「まずい店の情報もユーザーは知りたがっている」ということになります。

だれだってハズレはひきたくない。

「ここらへんで食事したい。店はあるけど初めて聞く店だ。この店美味しいんだろうか。この際まずくなけりゃいいや。情報プリーズ。」

「ははっ、殿、この店はまずいでござる!」

「オレオマエスキ」

「ありがたきしあわせ」

このパターンって意外と多いんす。だから最良の食べ歩きブロガーとは「美味しい店もまずい店も発信することができる人」になります。

まずい店を記事にしないということはそれだけ検索ユーザーのアクセスを逃していることになります。

 

なぜ猫町飯店は「まずい店」の情報を記事にしないか

じゃあなんで記事にせんと?需要あるよ?もっと猫町飯店をみんなに知ってもらえるよ?って話やけどさ。

理由は単純なんす。

地元で必死に頑張っている長崎の個人店だから

もう自分でもマジで甘ちゃんやね、って思います。いや、でも一度真剣に考えたけどこれしかねぇなって。

自分の脳内で会議してさ。わざわざ「まずい」って発信しなくてもよかっじゃ?って結論づいた。

少なくとも間違いなく長崎県に貢献している店だし(税金とか、いやそれだけじゃなかとばってん)長崎の活性化にはこういう地場の店ひとつひとつの頑張りが絶対必要なんすよ。

チェーン店の安定した味も長崎にはだいぶ進出してっけど負けじと個人として色をだして頑張ってんじゃない。応援したくなるじゃない。

なんかね。わたしも1人で孤独に情報発信してるけどやっぱ負けたくねぇもん大手サイトとかには。いや負けてんだけどさ。

そんな感情もあってか、いつしか私ができる最大限の対応が「書かない」になったんです。うめぇとは言えない。嘘になる。でも不味いともいう必要もねぇかなって

 

まずい店の情報を発信する人はむしろ尊敬する。でもテメーはダメだってのもある。

まずい店の情報を書いてるひとを悪くいってるわけじゃないんです。むしろ尊敬してるんすよ。「これが食べ歩きブロガーのあるべき姿よなぁ…」って

長崎でも辛口なブログ書いてる方を多くみます。こういうブログは価値があると思いますし私もよく見させてもらってます。

でも単純にマズイとか言いきっちゃってるブログとかみると

おまえの舌がまずいのでは

と思ってしまうんす。

特にその後リライトするわけでもないしさ。改良重ねて美味くなることもあるくないっすかって。そもそも食べ歩き記事なんてその個人の味の好みの起因するとこ多すぎやし簡単に不味いて言い切るのはどうかと思うんす。

当然逆のパターンもある。まずくなっていく店も確かにある。町の中華料理屋さんとかよくブレるよ。でも本質はそういうことを言ってるわけじゃなくて私が同じブロガーとしてもっとも気になるのはその文章というか文体。簡単にあっさり悪く書かれてる感じがしてすっげぇ悲しいなって。

 

私の好きな「まずい店」のレビュー

テメーはダメだってブログには読んでいて愛がねぇんすよ。

なんというか淡々として冷ややかな感じがするんすよ。すっげぇ事務的な感じ。

そんなSEO(googleの評価)だけを意識した文章は正直おもんないし、いい機会やけんそんなん書く人に聞きたいんやけど

 

「書いてて楽しいっすか?」

 

「まずい店」のレビューでも私が好きなのは、愛っつーか温もりがあるんです。文章に。

本当に、本当にすごいなって思うんす。

うもなか。もっとうどんは歯ごたえとか喉越しがあってでんよかろうけど、やわかねーこのうどん、うもなかよ。ばってんほんと優しか味やね。体の奥の奥ーの方までアツアツになったけんね。

寒かなか長崎市まできてよかったって本当に思わせてくれた店ばい。また来るけんばぁちゃん。指怪我するぐらいなら、ちくわとかかまぼことかいらんけん。そげん飾った所でそのうどんならたいして変わらんて。

「いなりば食うね?」ってあんた昼の3時に大盛りうどんとおにぎり2個食った俺にすすめんでよ。食えんよ。でもありがとう。ごちそうさま。それ食わせるまでまたやわかうどんば作って待っといてよ。絶対やけんな。

いつか見たどこのだれが書いたかもわからないアメブロの記事。ガラケーの小さな写真を添付してあったその文章に私は釘付けになった。

たぶんわかる人にしかわからない方言だらけの文章、デフォルトの味気ないデザイン、読者数0人。アクセスも1日数える程度だろう。でもたぶん私はこの人には絶対かなわない。そう思ったんです。

このうどん屋さんにいきたい。いや、うどん屋さんじゃないかもしれない。でも一つ言えるのはこの文章が強く私をこの店に駆り立てたってこと。

いつの日かこんなブログが書きたい、猫町飯店をただの真面目な食べ歩きブログにはしたくない。

私は愛のある「まずい店」の記事を書きたい。

この記事を今からシェア